家事の中でいちばん嫌いなのは、洗い物
※先に言っておきます。
これは、洗い物が大嫌いな私による、洗い物へのただの愚痴です。
「母親なんやから当たり前」とか
「食べたら洗うの普通やん」とか
「すぐ洗えばええやん」みたいな正論パンチは、今日はお受けいたしません。
こちらも重々わかっております。
わかっているけど、嫌いなものは嫌いです。
毎日やってるからこそ、文句くらい言わせてほしい。
では、洗い物が嫌いすぎる人間の話を聞いてください。
私は、洗い物が大嫌いである。
苦手とか、ちょっと面倒とか、そういうかわいらしい話ではない。
嫌い。
かなり嫌い。
できれば見なかったことにしたいし、誰かが魔法で全部きれいにしてくれるなら、その魔法使いに心から感謝する。なんなら年賀状も送る。
でも現実には、魔法使いは来ない。
ごはんを食べたら、食器が出る。
料理をしたら、鍋が出る。
飲み物を飲んだら、コップが出る。
そして気づけば、シンクには小さな山ができている。
しかも、うちは7人分である。
7人分。
この数字の重みを、どうか軽く見ないでほしい。
1人分なら、まだなんとか話し合いで解決できる。
2人分でも、まだギリギリ人間らしい心で向き合える。
でも7人分となると、もう景色が違う。
食後のシンクが、突然ひとつの現場になる。
皿がある。
茶碗がある。
コップがある。
箸がある。
スプーンがある。
小皿がある。
そして奥にはフライパンと鍋。
「え、これも使った?」という小さい器まである。
使ったらしい。
私は覚えていない。
でも、そこにあるということは、使ったのだろう。
食卓のあたたかい空気が終わって、ふとシンクを見た瞬間、私は急に真顔になる。
「あ、そうやった」
食べたら、洗わないといけない。
この世界の仕組み、なかなか厳しい。
料理は、まだいい。
いや、料理も大変である。
献立を考えて、買い物をして、切って、焼いて、煮て、味つけして、出して。
もちろん大変だ。
でも料理には、まだ“作っている感”がある。
野菜を切れば材料が進む。
炒めれば香りが出る。
味が決まれば少しうれしい。
皿に盛れば「できた」と思える。
でも洗い物は違う。
洗い物は、ただ元に戻す作業である。
汚れたものを、汚れていない状態に戻す。
食べる前の状態へ戻す。
つまり、ものすごく頑張っても、結果はゼロ地点。
何かを作り出しているわけではない。
ただ、散らかった現実をなかったことにしている。
しかも誰もそんなに褒めてくれない。
「わあ、シンク空っぽ!すごい!今日のMVP!」
とは、なかなかならない。
でも、やらなかったら一瞬でマイナスになる。
シンクに食器が残る。
油が固まる。
米粒が乾く。
味噌汁のお椀が静かに圧を放つ。
洗い物は、評価されにくいのに、放置するとすぐ責めてくるタイプの家事である。
本当にずるい。
もちろん、食後すぐに洗えばいい。
それはわかっている。
痛いほどわかっている。
この世の洗い物アドバイスは、だいたいそこに行き着く。
「すぐ洗えば楽だよ」
そうですね。
知っています。
それができたら、ここまで嫌いになっていない。
食後すぐの私は、もう座っている。
ごはんを作って、食べさせて、自分も食べて、少しだけ人間に戻ろうとしている。
そのタイミングでシンクから呼ばれる。
「まだ終わってませんよ」
聞こえている。
聞こえているけど、聞こえないふりをする。
少しだけ休みたい。
5分だけ。
この「5分だけ」が、また危ない。
人間の生活を崩す言葉ランキングがあれば、「5分だけ」はかなり上位に入ると思う。
5分で戻ってきたためしがない。
気づいたら30分経っている。
そしてシンクは、さっきよりも強い存在感を放っている。
洗い物は時間が経つほど増えているわけではない。
ないはずなのに、なぜか増えたように見える。
皿が大きく見える。
コップも多く見える。
フライパンの油汚れも、より意思を持っている。
完全にこちらを待っている。
だから私は、自分なりに工夫している。
少しでも洗い物を減らすために、ワンプレートにしている。
ワンプレート。
なんてすばらしい響きだろう。
一枚のお皿に、ごはんもおかずもできるだけまとめる。
これなら洗い物が減る。
そう思った。
そう信じていた。
私はちゃんと考えているのである。
7人分の洗い物という現実を、少しでも軽くするために。
茶碗を減らし、小皿を減らし、皿数を減らし、なるべく一枚に収める。
おしゃれなカフェ風ワンプレートではない。
生活防衛としてのワンプレートである。
映えのためではない。
生き延びるためである。
なのに。
なぜなのか。
なぜ次から次へと食器が出てくるのか。
ワンプレートで用意しているのに、誰かがコップを出す。
まあ、飲み物は必要だ。
それはわかる。
次にスプーンが出る。
まあ、スプーンも必要なときはある。
それもわかる。
すると今度は小皿が出る。
なぜ?
その小皿は何?
今どこから来た?
私はもう、一枚のお皿にすべてを乗せたはずなのに、なぜあなたは新たな皿を召喚しているのか。
さらに誰かが言う。
「これ、ちょっと分ける皿ある?」
ない。
いや、ある。
あるけど、出したくない。
皿は存在している。
でも、その皿を出すということは、洗い物が増えるということである。
その一枚を誰が洗うと思っているのか。
そう。
私である。
そしてまた、誰かが新しいコップを出す。
さっき使ったコップは?
「どれかわからん」
なぜわからなくなるのか。
自分が飲んだコップである。
人生の中で、そんなに見失うことがあるだろうか。
7人いると、コップの治安がすぐ悪くなる。
気づけばテーブルの上にもシンクの中にも、コップが増えている。
コップ、コップ、コップ。
家族の人数より多いコップ。
どういう計算?
誰か二杯同時に飲んでいる?
それともコップが勝手に増殖している?
こっちはワンプレートという名の節約術を発動しているのに。
その横から、みんなが小皿だのスプーンだのコップだのを次々に出していく。
まるで洗い物を増やすゲームでもしているのか。
「本日のミッション:母のワンプレート作戦を無効化せよ」
やめてほしい。
こっちは本気でやっている。
食器を一枚でも減らしたい。
シンクの山を少しでも低くしたい。
手のふやけ具合を少しでも抑えたい。
それなのに、食卓では新しい皿が生まれる。
次から次へと生まれる。
食器の出生率が高すぎる。
少子化とは無縁である。
特に小皿。
小皿という存在は、本当に油断ならない。
小さい顔をしている。
「私なんて、ちょっとしたものです」
みたいな顔をしている。
でも、7人分の食卓で小皿が増えると、普通にシンクを圧迫する。
ちょっと漬物を入れる。
ちょっとタレを入れる。
ちょっと取り分ける。
ちょっと冷ます。
ちょっと残す。
この「ちょっと」が積み重なって、最終的に全然ちょっとじゃなくなる。
小皿は小さい。
でも数が多い。
そして洗うとき、地味に面倒くさい。
小さいくせに、ちゃんと一皿として扱わないといけない。
皿としての権利をしっかり主張してくる。
さらにスプーンも増える。
「これ、誰が使った?」と思うスプーンが必ずある。
ヨーグルトを食べたやつ。
味見したやつ。
何かを混ぜたやつ。
ちょっとだけ使ったやつ。
ちょっとだけ使ったなら、自分で洗ってくれ。
そう思う。
もちろん口には出さない日もある。
出す日もある。
かなり出る日もある。
一番つらいのは、やっと終わったと思ったあとに出てくる追加の食器である。
あれは本当にやめてほしい。
全部洗った。
シンクも空になった。
水切りかごもいっぱい。
手も少しふやけている。
「終わった……」
そう思った瞬間、誰かがそっと持ってくる。
コップ。
または小皿。
またはスプーン。
なぜ今?
どこに隠れていた?
洗い物が終わったあとに出てくる食器には、独特の破壊力がある。
量の問題ではない。
気持ちの問題である。
マラソンを走り終えたあとに、「あと100メートルだけお願いします」と言われる感じ。
いや、100メートルくらい走れるかもしれない。
でも今じゃない。
終わったと思った心を、もう一度立ち上がらせるのがしんどいのである。
それでも、洗い物をしないわけにはいかない。
シンクに放置すればするほど、あとで自分が苦しむ。
これはわかっている。
わかっているから、余計につらい。
洗い物は、未来の自分との戦いである。
今やれば、未来の自分が助かる。
今やらなければ、未来の自分が朝から絶望する。
でも現在の自分は疲れている。
未来の自分のために頑張るほど、余裕がない日もある。
だから私は、よく未来の自分に借金をする。
「明日の私、ごめん」
そう思いながら、シンクを見なかったことにする。
そして翌朝の私は、ちゃんと怒る。
「昨日の私、なんで洗ってへんねん」
毎回同じことをしている。
過去の自分と未来の自分の仲が悪い。
現在の自分は、だいたいその間でスマホを見ている。
ただ、嫌いだからこそ、洗い終わったときの達成感はすごい。
シンクが空になる。
排水口のゴミも取る。
蛇口まわりも少し拭く。
水切りかごには、洗い終わった皿たちが並んでいる。
その景色を見ると、少しだけ自分を褒めたくなる。
「やった」
誰も拍手してくれなくても、自分だけはわかっている。
このシンクは、さっきまで戦場だった。
私はそこから生還した。
7人分の皿。
コップ。
箸。
スプーン。
小皿。
フライパン。
鍋。
ワンプレートにしたはずなのに増えていた謎の食器たち。
全部相手にした。
えらい。
これはもう、かなりえらい。
私は洗い物が大嫌いだ。
できれば誰かがやってくれたらいいと思っている。
食器が自動で洗われ、自動で乾き、自動で棚に戻ってくれたらいいのにと、本気で思っている。
でも、嫌いな家事を毎日なんとかやっている自分のことは、少し認めてあげたい。
好きでやっているわけではない。
丁寧な暮らしに憧れてやっているわけでもない。
ただ、暮らしが続くからやっている。
誰かが食べたあとには、誰かが洗っている。
食卓の「おいしかった」のあとには、シンクの「さて」がある。
その「さて」を毎回引き受けるのは、なかなか大変だ。
しかも7人分。
本当に、多い。
ワンプレートにしているのに、小皿が出る。
ワンプレートにしているのに、コップが増える。
ワンプレートにしているのに、シンクはちゃんと混雑する。
ワンプレートとは何だったのか。
私は毎回、シンクの前で静かに考える。
たぶん、ワンプレートは希望なのだ。
洗い物が減るかもしれないという、小さな希望。
そして家族は、その希望の上に、次々とコップを置いていく。
生活って、ほんまに手強い。
洗い物は大嫌い。
ワンプレートにしても、なぜか食器は増える。
でも、今日もなんとかやっている。
だから私はえらい。
洗った人は、みんなえらい。
特に7人分洗った人は、もう表彰されてもいい。




7人分!大変すぎて!偉い!偉すぎる!
私も次の日に残す事もあります。
次の日の朝の絶望感ったらないですけどね😭
ちゃんと洗い物が終わってたら、次の日の朝は昨日の私、偉い!って思いますもの。
それにしても7人分偉すぎる!!!
同じく、家事でいちばん洗い物が嫌い!!
1人分でもいやなのに、7人分なんてちょっとした社員食堂の量だよ…!?
しかも洗い物って地味に時間がかかるし、ながら作業でもできないし、キレイになった!と思っても一瞬でもまた新しい洗いものはでるし。
いやだよね…!!!
だから私は、洗い物をやってくれる人には本当に拍手喝采をいつも送るようにしているよ!!
ハンナちゃんにも盛大な拍手を!!
ほんとうに偉すぎる
ギャラが発生していい家事すぎるんだから